2010年07月22日
大鰐物語 ~タケノコの保存方法~

8/4の大鰐食堂のイベント告知をしたところで、今回の大鰐訪問記をぼちぼち書き始めようかと思う。
わたしはアメリカ・ミシガン州で生まれ、平日は現地校に通い、土曜日だけは州を越えてオハイオまで送り届けてもらい、日本人補習校に行っていた。
他の子たちと違ったのは土曜日くらいで、アメリカの国籍を持ち、ホットドッグとチーズバーガーとドリトスとトゥウィンキーズを食べ、学校へ行けば「Pledge of Allegiance」を毎日宣誓し、自分がアメリカ人だと信じて疑わずに育った。将来はチアリーダーになるものだと思ってたし、憧れのプロムとか素敵なはずのティーンとかを夢見て、スクールバスに乗り込んでいた。
母は駐在員の妻らしく、父のお仕事仲間の奥様たちと親交を深めることに心を砕いていた。
トヨタとか日商岩井とか三菱商事の駐在員で集まって、毎週何かしらのパーティーが開かれ、お作法とかお料理とかどんなドレスを着ていくべきかまで、その都度社長夫人に相談しないといけない社会だったらしい。というのは、大人になってから聞いた話だけれど。
彼女たちの最大の関心は「赴任期間が終わって帰国したのち、子どもをどこの学校に入れるべきか」で、集まれば「○○さんのお宅の○○ちゃんはフェリスですって。さすがですわね。」「やはり週1回の補習校だけでは無理だわ。いいお塾を紹介して下さる?」みたいな会話を、ドラマの世界とかじゃなく本気でしていたのを覚えている。
当然わたしも、そろばんにピアノ、アイススケート、乗馬と、訳もわからぬままひと通り習わされていた。
そんなわたしにとって、たまに母に連れられ訪れる大鰐(おおわに)は、別世界で天国のようだった。「○○してはいけません」が、一切ない新天地。祖父母や叔父は山の中に連れて行っては山の遊びや厳しさを教えてくれたし、お行儀なんて気にしなくて良かった。ケラケラと大声で笑いながら山の中を走り回っても誰にも注意されない。あと、ご飯が信じられないくらいおいしい。
最も印象的だったのはやはり、小4の時に大鰐第二小学校に2週間の体験入学をした時だ。父の会社では赴任して3年が経つと、母子が帰国する旅費を出してもらえる制度があって、それを利用するついでにわたしと弟に日本の小学校を体験させられないかと、母が母校に掛け合ってくれたのである。
その結果受け入れられ、その延長で大鰐第二小学校とわたし達姉弟が通っていた Orchard Hills Elementary School が姉妹校になり、さらに飛躍して大鰐町と Novi City が姉妹都市になり、何年後かには交換留学生と先生達が大鰐を訪れたのだから、母の、思いつきで人を動かす力はやっぱりすごいなと思う。
そんなワケで大鰐はわたしにとって、Novi に次いで第二の故郷である。その後帰国し、日本の食材に魅了され、フードライターとして TOKYO のダイニングシーンを切り取る仕事を選ぶとは……そして再び訪れた大鰐に心打たれ、大鰐に住む人々や彼らの食生活を書くことをライフワークにしたいと思うとは……まったく予想していなかった。
とにもかくにも、不思議な縁なのか、わたしの中にも流れる大鰐の血がそうさせるのか……。友人のカメラマン2人とユニットを組んで、大鰐について今後、勝手に、発信していくことになった。
というワケで、、、
大鰐食堂開店にともない、青森訪問記を始めます。

メンバーはこの3人。左から eat photo 花渕浩二、華麗叫子、 eat photo 伊藤高明。
こんなところまで顔隠すの?って、めちゃめちゃ不自然な写真になってますが、ええもう、全然出したくないんです。いいんですもー、一生このままで行きます。大鰐物語、はじまりはじまりですよ。
ちなみに伊藤っちはこんな澄ました顔してるけど、明日から青森だからと前日しこたま飲んで、逆にお酒に呑まれて、行きの飛行機にまさかの遅刻をしました。遅刻っていうか、便を逃しました。
で、わたしと花渕さんは予定通り青森空港に着いて、「伊藤っちが来るまで2時間もあるからレンタカーを借りて先に宿に荷物だけでも置いてきちゃおうよ!」って話に当然なったけど、レンタカーも伊藤っち名義で借りてたから車も出せずに、何もない青森空港で2時間も待ちぼうけを喰らったのでした。いや別に、2人ともまったく気にしてなかったけど。
罰ゲームはキムチの柔らかい葉の部分をくるくるピッチリ巻いて鼻の穴に入れて1日を過ごすか、自腹で最高級アワビを数匹購入して海パンの中に入れて1日過ごすかが有力候補だったんだけど、無難に「みんなに美味しい魚料理をおごる」とかになって、つまらない事この上ない。

……と脱線しましたが、2時間遅れで大鰐の祖父母宅に着くと、叔父が今か今かと待っていた。今日来るのに合わせて昨日山に入って、タケノコを採ってきてくれたのだそうだ。
「わ達だば贅沢だから」と笑いながら、岩の崖みたいなところを這って上り、標高700m以上の秘密の場所でしか手に入れられないタケノコを見せてくれた。えぐみがなく香り豊かで、甘みが強く、やわらかいタケノコ。しかも穂先の部分だけ。もちろん来年も採れるように、採る量や場所は勘で加減しているし、美味しいだけに熊との競争になるから、危険度が高い食材だ。
これを一両日中に加工しないと、せっかくの鮮味が失われてしまう。だから昨日のうちに皮を剥ぎ、下ゆでしておいたのだそう。それを今度はガラス瓶に入れ、煮沸しながら瓶詰めにしていく。蓋をせずに40分、蓋をしてから40分。高温のガラス瓶はとても繊細で、隣の瓶に少し当たっただけでもピキーン!とひびが入ってしまうのだそうだ。

しかも手作業なので、蓋を閉める強度が大変らしい。気合を入れて「フンッ!」と閉める。出来上がった時、蓋の中央が窪んでいればOK、窪んでいなければすぐに腐ってしまうので、使い物にならない。
昨日朝早くから山に出かけていって、水煮にして、煮沸して、瓶詰めが終わるまでに丸々二日間。わたしは体験していないので推測でしか言えないのだけれど、祖母はもう去年から自分で出来なくなってしまってすべて叔父に任せていると言っていたので、相当な重労働なのだろう。
お金を使う代わりにこうやって、時間と、労働と、自らの勘と経験を使って、食べ物を手に入れる。それが特別なことではなく、普通の生活として存在している。
だけどそれも、祖父母と叔父の代だけ。一緒に住んでいるいとこ達は当然この作業を手伝ったことがないし、祖母が拵えるおばんざいには目もくれず、家ではカップラーメンばかり食べている。批判とかではなく、それが現代の世代の普通、なのだと思う。

これが、タケノコの水煮を使って祖母が拵えた 「ダシと花がつお漬け」 。緑の香りと、とうもろこしのようなほんのりした甘みと、やわらかく瑞々しい歯ごたえ。
↓ プロの写真を見てみましょう。

photo by 伊藤高明
実際この作業を見ていると、ガラス瓶の中には命が詰まっているのが分かる。
「食べ物って、本当にきれいな色かたちをしているんだなー」と、
心底からため息が出てくる。
それはもう、神々しいくらい。

photo by 花渕浩二
というか、神々しいんだよね、実際。
食べ物も食べるという行為も、それらを採集・狩猟するという行為も。
命をつむぎ、身体を作り、子どもを育て、心を豊かにする食事。
わたし達は命をいただき、生きている。
それを発信したくて、大鰐プロジェクトを始めたんだ。
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http://cosmo.tokyobookmark.jp/t21019057
この記事へのコメント
記事を読んでいて、たまに“ゾク”っと感じることがある。
それだけ山への敬愛の情と畏怖の念が伝わってきます。
行きたい!食べたい!話したい!の気持ちが暴走しそうです(笑
それだけ山への敬愛の情と畏怖の念が伝わってきます。
行きたい!食べたい!話したい!の気持ちが暴走しそうです(笑
Posted by Tom@LA at 2010年07月23日 01:50
LAはどうかい? わたしは今台湾です。
のりとおっちゃに連れて行ってもらった山はすごかったよ。
野生のカモシカにも会っちゃったし。
カメラマンが撮った写真見せるね!
のりとおっちゃに連れて行ってもらった山はすごかったよ。
野生のカモシカにも会っちゃったし。
カメラマンが撮った写真見せるね!
Posted by 華麗叫子 at 2010年07月23日 02:18
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